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コマネチ(1)


1976年のモントリオールオリンピックで、それまでの体操競技では出たことのなかった「10点満点」を連発して有名になったコマネチ選手のドキュメンタリー(その1)です。


ルーマニアの山の中の機械工の娘として育った14歳の少女が、1976年のモントリオールオリンピックの顔になった・・・と言っていますね。その後、ルーマニアで woman of substance(資産家)になったが、13年後にはルーマニアを後にしたということです。チャウシェスク大統領の独裁政権の全盛期に、家具の揃ったアパートと経済的な安定を捨ててアメリカに移り住みました。

「チャウシェスク一族は私をさまざまな政治的イベントに利用しましたが、私は単なるスポーツ選手で、政治のことは分かりませんでした。私にはプラバシーがありませんでした。チャウシェスクの一族が生きている限り、私にはプライバシーがないということを悟りました」

現役引退後は国の体操チームのコーチになり、トレーニングを担当したものの、彼女の行動はすべて国にあやつられていました。

「共産主義国家で最も大切なのは、権力です。権力があるものはみな、国内で好きなことができます。だから規則には従わなければならず、私自身、規則に従わなければなりませんでした。もし従わなければ、生きていけないのです」 「必死の状態で、生き延びたいと思っているときには、人はなりふり構わずに行動します。死ぬかもしれないとか、捕まるかもしれないとか、そんなことは考えません」

アメリカに亡命したときに、恋人とうわさされれた人物がいて、メディアの関心を集めたそうですが、そのために、「自由な国に来たのに、自由がありませんでした。一体私はどこへ行って生きればいいのだろうかと思いました。そういうわけで、最初はとてもつらかったです」と言っています。

ブカレストではトレーニング漬けで、一般的な教育は二の次にされ(took a backseat)、両親の代わりに、コーチの下で子供時代を過ごしました。

「普通の子供のような生活はできませんでしたが、他の子供が体験できないようなことを体験できました。あれから何年もが過ぎて30歳になりましたが、あの頃、ああいう体験ができたことは良かったと思っています」(30歳のときのインタビューということは、このドキュメンタリーが作られたのは、1991年ごろのようです。)

彼女は12歳のときに初の国内タイトルを獲得し、1975年のロンドンのウェンブリーで行われた国際大会で優勝して、その勢いでヨーロッパ選手権も取ります。当時13歳の彼女は、スポーツ界で最年少のカムバックを果たしました。というのも、彼女は同じ年に、「才能が足りない」という理由でチームから外されていたからです。
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  • 2008-03-22│14:00 |
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