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死刑の是非を語る


以下、動画で言っていることを訳してみます。聞き取り違いや解釈の間違いのせいで、おかしな部分があるかもしれませんので、気づいたことがあれば、コメントください。また、そうではない素朴な疑問も、遠慮なくコメントしてください。

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ジョージア州の刑務所の死刑執行室(prison's death chamber)で体を縛りつけられて(strapped down)、トロイ・デービスさんは、22年前に警察官を殺してはいないと主張し続けました。彼は、この罪状で死刑判決を受けたのです。最後に再び無罪だと主張した直後に、彼は処刑されました。

私はかつて、無条件に(unquestioningly)、死刑は絶対にあってはならないと信じていました。人として、誰が死に、誰が生きるかを決める権利は、私たちにはないと考えていました。無罪を主張し続ける人が有罪であると、どうやって確信を持てるのでしょうか?仮に罪を認めていても、誤ることの多い(fallible)人間に、他人に対して取り返しのつかない(irrevocable)決定を下す自由を与えることなど、どうしてできるでしょう?


それでも、年齢を重ね、狂った世の中を見続けていると、正直なところ、中には生き続けるべきではない人もいると思ってしまうことがあります。彼らは、脳の構造からして、社会に対する脅威であり、非常に危険で、負の力にしかなり得ないかのようです。自分の大切な人が、誰かから故意に容赦なく(without remorse)傷つけられたとしたら、自分の理想主義的な倫理観を問い直さなければならなくなるかもしれません。

死刑については、私自身、何年も考え続けてきました。私は、死刑が社会に関して発しているメッセージについて考えると同時に、死刑の問題は、人は子供の頃はリベラルだけど年を取るにつれて世の中の醜さに嫌気が差して保守的になるという説(edit)が本当かどうかを考える目安(benchmark)になるかもしれないと考えてきました。

でも、私が本当に言いたいのは、誰がどう言おうと(Screw that!)、私は社会や頭のおかしい連中のせいで無気力にさせられ(jade)て、誰か一人がほかの人の生死を決定してもいいと思うようにはならない・・・ということです。頭のおかしい人は、鉄格子の後ろか、壁にクッションの付いた部屋に入れて、他人に危害を与えないようにすればいいのです。心の中で、許すことの正義を模索し、自分自身の心の宿題に取り組みましょう。そして、今のこの世の中で、最善の倫理的な責任ある人間として生きることを目指しましょう。それ以上に誇らしいことは、他には考えられません。

年を取ると、理想主義でいることがだんだん難しくなります。毎日、基本的な倫理に忠実に生き、無関心にならずに若い気持ちを保つために必要なことを実行していくのは、大変なことです。でも私は、弱虫(wimp)ではありません。あえて困難な道を進んでいく覚悟をしています。そして、死刑は絶対にいけないのだと信じ続けていきます。

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ジョージア州で死刑と言えば、別の人が2008年5月にYouTubeにアップした動画のレポートをシリーズで紹介したことがありました(→ 「死刑制度について」「死刑執行の予定日」「死刑執行当日のスケジュール」「検察官にインタビュー」)。
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